●伊勢隆一郎「お金と時間と場所に縛られず、僕らは自由に働くことができる。」を読んだら、他人のフィルターで物事を見ることができるようになった


「私に
『自分の存在を認めてほしくて』
商品を買ってくれているのかなと
思うときさえあります。」


 
つぶやきのように書かれた一節。
 
 

あなたは、
「悩み」や「苦痛」の前に
「自分のこと」を知ってほしいと
思う時がありますか?
 
 

私が今まで考えていたことは
末端のことで
もっと重要なことを
見逃していたのかもしれない。
 
 

この本を読んで、
そんなことを感じました。
 
 
 
 


■ちまたによくある
ダイレクトレスポンスマーケティング
(DRM)について
書かれていると思ったら、
「究極の理解」のことが書かれていた

 
 

「私に
『自分の存在を認めてほしくて』
商品を買ってくれているのかなと
思うときさえあります。」
 
 

この一節は
 
 

伊勢隆一郎
「お金と時間と場所に縛られず、
僕らは自由に働くことができる。」

 


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「お金と時間と場所に縛られず、

僕らは自由に働くことができる。」を

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に書かれていました。
 
 

伊勢隆一郎さんは、
セールスコピーライター、マーケッターで
インターネット上で情報起業をしている人です。
 
 

そして、
私が受講していた
「新・魔法のコピーライティング」の
開発者「岡村元紀さん」の師匠に当たる人です。
 
 

伊勢隆一郎さんに対しての
私の興味はコピーライターの部分でした。
 
 

ネットに公開されている
ブログや、動画なども見ていました。
 
 

それで、
「さすがコピーライターとして文章力あるな」と
ずっと注目していたのです。
 
 

しかし、ただそれだけでなく、
 
 

他のネットビジネスをしている人と
少し違うのです。
 
 

ネット上で公開されている動画を見ても
あんまり商売気がない雰囲気の人です。
 
 

岡村元紀さんの教材の対談音声においても
師匠なのですが、
「ちょっと人の見方が違う、どういう人なのかな?」と
興味を持っていました。
 
 

ビジネスだけということではなく
人間について距離を置いて
別の事を考えているように見えます。
 
 

しかし、
他の人とは違うなとは思いつつ、
文章の書き方にしか
私は興味を持っていませんでした。
 
 

当初の、この本を読む目的は
「興味を持たせて、読ませる書き方」を
知りたかったのです。
 
 

「コピーライターは
どういう文章の引っ張り方をするか?」
 
 

それが、最大の関心でした。
 
 

そのため、
内容には期待していませんでしたし、
極端な話、内容はどうでもよかったのです。
 
 

他のネット起業家の本と同じように
ダイレクトレスポンスマーケティング(以下、DRM)に
ついて、書いてあるのだろう。
 
 

あっても、例え話が違うぐらいだろう。
 
 

そう考えていました。
 
 

ところが、
全く「予期しないこと」が
書かれていました。
 
 

「究極の理解」の必要性について
書かれていたのです。
 
 

あなたは、
「究極の理解」と聞いて、
何を想像しますか?
 
 
 
 


■一般的に考えられている
ダイレクトレスポンスマーケティングは
こんなことが間違っていた

 
 
ダイレクトレスポンスマーケティング
(以下、DRM)とは、
顧客に自ら問題を「解決」するために
行動を促す販売手法です。
 
 

そのため、
 
 

実際にやり取りされる
商品、サービスというよりは、
「解決」を売買しています。
 
 

例えば、
ひざ痛のサプリメントの場合は
ひざの痛みが取れるサプリメントを買えとは言わず、
 
 

今のままでは、
 
 

年寄り臭く、誰かいなくてはどこにも行けず、
周りにも疎まれ、
孫も嫌がってそばに寄ってこない。
 
 

本当はできるなら、
 
 

若々しく、周りに迷惑を掛けることもない。
好きなときに好きな場所にどこにでも行ける。
キャーキャー言う孫と毎日楽しく遊ぶ生活。
 
 
「あなたは、横浜の港から見える景色が好きでしたよね」
 
 

そういう生活がしたいのではありませんか?
 
 

そういう話から、
サプリメントを飲む緊急性、重要性(必要性)に
話がつながっていきます。
 
 

つまり、
単純なひざ痛ではなく、
人生の問題(悩み、苦痛)として提案されます。
 
 

人生の問題(悩み、苦痛)ですので、
 
 

感情的に「これは何とかしなくては」と、
対象となる人は
「解決」するため「行動」します。
 
 

この場合で言えば、
 
 

数ある解決方法の中から
「緊急性、重要性(必要性)が高いものは何か?」
それは、「サプリメントを飲むことだ」と
自ら答えを出し「行動」します。
 
 

そういうDRMの手法を読んでいたので
私は人の「悩み」、「苦痛」について
どのように書くかという事に注目していました。
 
 

悩み、苦痛を
「抜き出す」ために
人を理解しようとしていたのです。
 
 
しかし、
そのDRMの考え方は間違っていて、
順番を逆にしなければならないことが
わかったのです。
 
 
 
 


■「悩み」や「苦痛」は、
その人の一部分である。
「悩み」や「苦痛」より、
先に気が付かなくてはならないのは、
「その人」の存在自体。

 
 

悩み、苦痛を
「抜き出す」と
DRMが出来る。
 
 
そのように私は考えていました。
 
 
しかし、
この本を読んで
順番が違っていると気づきました。
 
 
なぜなら、
「悩み」や「苦痛」は、
その人の「一部分」である、
からです。
 
 

悩んでいる時は、
悩んでいることに取り囲まれて息苦しいです。
 
 

狭いところに押し込まれているような
圧迫感があります。
 
 

「悩み」は
一日中、隣に座って話しかけてきます。
 
 

しかし、
悩みが体を飛び出すことはないのです。
 
 

悩みはその人の中にあり、
その人の人格として存在しています。
 
 

なぜ、
「悩み」、「苦痛」を知ってもらっても
「私は理解された」と感じないのか?
 
 

それは、
悩みは「一面的」であると
同時に、「一時的」であるからです。
 
 

気づいてから、
自分に置き換えてみると
すぐわかります。
 
 

私という全体を知らず
 
 

私の「悩み」、「苦痛」という
一部分だけを抜き出されて語られても、
 
 

「私はそれだけではない」、
「それは私の『ある一面』だ」と
言いたくなります。
 
 

「悩み」、「苦痛」を知ってもらっただけでは
「私は理解された」とは感じません。
 
 

「私は理解された」と感じ、
こちら側も信頼するためには、
 
 

むしろ、
悩みや苦痛のことは、後でもよく、
 
 

先に
その人の「存在」を理解することが必要なのです。
 
 
そんなことを言われても
 
 
「悩み」や「苦痛」は
重たくて、いやでいやで仕方がなく、
しつこくて、振り払ってもまとわりついてきます。
消せるものなら、すぐ消したいです。
 
 
そのため先に、
「悩み」や「苦痛」は
一体「誰が」作っているのか?を
次に、お話しします。
 
 
 
 


■「悩み」や「苦痛」は
「その人」が自分で作り出している

 
 

「悩み」、「苦痛」と言いますが、
実は実体のないものです。
 
 

私も「悩み」があります。
眠れなくなったり、
関係する人とケンカになるときもあります。
 
 

それが影響して、
関係ない人とまで、ケンカになるときもあります。
 
 

しかし、「悩み」は実体のないものです。
 
 

もし、あなたが私と入れ替わったとしたら?
 
 

「こんなこと、たいしたことない」と
感じるでしょうか?
 
 

それとも、
「こんなこと、耐えられない」と
感じるでしょうか?
 
 

立場が入れ替わって、
もし、私があなたになったとしたら?
 
 

あなたと違う反応をするでしょう。
それは、私とあなたは違う人間だからです。
 
 

そもそも、
同じことを
悩まないかもしれません。
 
 

話を聞いても、「何を悩んでいるか?」
人の悩みは、よくわからないときさえありますよね。
 
 

同じことを
「悩む」かもしれないし、
「悩まない」かもしれない。
 
 

悩むにしても
人によって、
悩む「度合い」が違います。
 
 

あるいは、
悩む「切り口」が違います。
 
 

なぜこのようなことが起こるのか?

 
 
それは、
「その人」が悩みを作り出しているからです。
 
 

何かに悩んだり、苦痛を感じるのは、
その人の枝葉の部分である
「反応」です。
 
 
「それならば、自分の反応を変えればいい。
明日から何も感じず生きよう」
そんな風に考えるかもしれません。
 
 
ここで「注意」なのですが、
 
 

例え、
「その人が、自分で悩みを作っている」ということが
わかったとしても、
 
 
その知識を正しく使わず
使い方を間違えると
 
 
あなた自身の「悩み」「苦痛」を解決することもできず、
相手に対して、
あなたは、ただの「ゆすり屋」になってしまいます。
 
 
 
 


■弱みにつけこむ「ゆすり屋」になるか?
究極の「理解者」になるか?

 
 

●悩み、苦痛は、その人の一部分である。
●悩み、苦痛は、
その人が作り出している「反応」である。
 
 

私は、このふたつのことを気が付かず
順番を間違えていました。
 
 

●悩み、苦痛から、人を理解する。
●人を理解して、その人の悩み、苦痛を知る。
 
 

書いて並べれば、
後者の方が、
深く理解することができるのは
すぐわかります。
 
 

今まで、こんなことがわかりませんでした。
 
 

もし、
●悩み、苦痛から、人を理解する。
ということをすると、
 
 

結局、
弱みにつけこむ
「ゆすり屋」になってしまいます。
 
 

「お前の弱みは知っている。
黙っててやるから、金を出せ。」
 
 

ということです。
 
 

それでは、
その人を理解するとは、どういうことなのか?
 
 

勿論、
違う人間なので、
すべてがわかるわけではありません。
 
 

確かに、わかるわけではないのですが、
 
 

この「違う人間なので」という部分が
重要です。
 
 

私も、あなたも、
常に自分から見た
「相手」と「自分」という構図の中で
物事を考えています。
 
 

つまり、
人に限らず、すべてにおいて
「自分のフィルター」を通して見ている
ということです。
 
 
そのため、「究極の理解」をするには、
「自分のフィルター」を意識して、
自分がどのような意識の状態で
相手を見ているかが問題なのです。
 
 
ですが、
「自分のフィルター」、
「相手のフィルター」と言われても、
どうすればいいかわかりません。
 
 
どこに
相手を究極に理解する方法など
あるのでしょうか?
 
 
 
 


■まず、
「究極の理解=相手のフィルター」
であることを理解するために
「自分のフィルター」を取り除く

 
 

ただ理解するだけではなく
「究極の理解」に至るには
理解度レベルが4段階あると
本の中に書かれています。
 
 

●理解度レベル0
相手を理解しようとしていない状態
 
 

●理解度レベル1
相手を理解しようとしているが、
伝わっていない状態
 
 

●理解度レベル2
相手を理解しようとしてるのが、
伝わっている状態
 
 

●理解度レベル3
相手を理解し、
相手も理解されているいると感じている状態
 
 

●理解度レベル4(究極の理解レベル)
相手が自分の気が付いていないことまで
理解されていると感じている状態
 
 

このレベルが上がっていく段階とは、
「自分のフィルター」を取り去っていく過程です。
 
 
「自分のフィルター」とは、
自分からの「見方」だったり、
自分の物事の「認識」ということです。
自分の「価値観」とも言えます。
 
 
同じように相手も
「自分のフィルター」を持っています。
 
 
両方が持っているので、
「自分」と「相手」がいる構図の中では、
 
 
それぞれが
「自分のフィルター」を通じて
お互いを見ているということになります。
 
 

では、
そのお互いのフィルターのうち、
「自分のフィルター」を取り去るとどうなるか?
 
 
「自分のフィルター」と
「相手のフィルター」がある構図の中で
「自分のフィルター」が取り去られると、
 
 
「相手のフィルター」のみが残ります。
 
 

このことが意味するのは、
「相手のフィルター」が「その人」なのです。
 
 

この本に書かれている
「究極の理解」とは、
「相手のフィルター」を理解することです。
 
 

悩みや苦痛というのは、
その「相手のフィルター」が作り出すものです。
 
 
「相手のフィルター」を理解することは
その人の情報世界を認め、
その人の存在を認めることになります。
(専門用語で内部表現といいます)
 
 
相手と抽象的に表現していますが、
「一人ひとり」フィルターを持っていて
「群衆」とは別レベルで理解する必要があります。
 
 
ここまでで
「究極の理解」とは、
「相手のフィルター」を理解することと
大きな考え方がわかりました。
 
 
しかし、この本には、
その大きな考え方だけではなく、
 
 
その後に、
「自分のフィルター」を取り外すための
具体的な方法が書かれています。
 
 
 
 


■「究極の理解=相手のフィルター」を
理解して、
顧客にとって
「かけがえのない人」になる方法

 
 

この本では、
「自分のフィルター」を取り外し、
「相手のフィルター」を理解する方法、
 
 

すなわち、
 
 

相手を
「究極の理解」するための
訓練方法が書かれています。

 
 
それは、
「ある手紙」を書くことです。
 
 

この手紙を書くことで、
 
 

「相手のフィルター」がわかるだけではなく、
 
 

自分に対しての
コンプレックス、こだわり、
悩み、苦痛、自我がわかり、
 
 

つまり、
取り去らなくてはならない
「自分のフィルター」について理解することが
出来るようになります。
 
 
そして、
「相手のフィルター」を理解することは、
 
 
通常の人間関係のみならず、
ビジネスにおいては、
顧客にとっての
「かけがえのない人」になることが出来るのです。
 
 
「かけがえのない人」とは、
「ゆすり屋」になることではありません。
 
 

この本を読むことで
「ゆすり屋」から、
「かけがえのない人」になることを
考えることが出来るようになりました。
 
 
本当の意味の
ダイレクトレスポンスマーケティングは、
「かけがえのない人」になることです。
 
 

相手を「究極の理解」し、
「かけがえのない人」になるために
とても参考になる本です。
 
 
くわしくは、
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