春はくすぶり

萩原健一さんが亡くなりました。

ネットニュースを
流して見ていると
急に目に飛び込んできました。

68歳だったそうです。

いろいろな芸能人がいます。

その中で
見ている人の価値観を変える
時代を背負った人が
まれにいます。

私たちの世代にとって、
萩原さんがその人でした。

ドラマでは菊池武夫さんの
服を着たり、

いわゆる
デザイナースブランドの服がある
と教わりましたし、

カッコよかったです。

(それ以外はインヤンを
着ていたようなイメージが
あります)

演技も他の人とは違います。

しかし、私にとっては、
俳優よりも
音楽家としてのほうが
気になる存在でした。

夜のヒットスタジオに
出演すると聞けば、

お風呂に早く入り、
番組が始まる前には、
テレビの前に座って待ち
見ていました。

それから、
しばらく音楽から離れていて、
また歌うようになって
近年ネットで何度か見かけました。

ですが、
往年を知っているだけに
悲しくなるぐらいのひどさです。

とてもではないですが、
客前で披露できる
レベルではありませんでした。

私は春になると
周期的に
体調が悪くなります。

花粉症の薬のせいか
精神的にも滅入っていきます。

そんな時にこの訃報を聞き、
ドンともう一段、
ベッドの下に落ちた気分です。

落ちたついでに
床に落ちたまま
ゴロンと転がって
天井を見上げると、

蛍光灯のひいて点ける紐が
ブラブラと揺れています。

しばらくブラブラを
何気なく見ていると、

前にたまたま見た
テレビ番組を思い出しました。

ある芸人が瀬戸内寂聴さんに
悩みごとを相談します。

「頑張って話しても
放送では編集され
カットされる。

認められていない」

それに対して、
瀬戸内さんは、

「お笑いが
そんなに好きじゃないのでは。

好きじゃないから認められない。

好きなことを仕事にすれば」

とアドバイスをしていました。

できること
(あるいはできるようになったこと)
と、好きなことは
違うことのほうが多いものです。

ここで瀬戸内さんがいう
好きなこととは、

マイブームのように
熱くなっては冷めてしまう
短期間だけの好きではなく、

その人の根底にある
どんな認められ方をすると
「うれしい」のかという意味でしょう。

違う場合に使う言葉で
「琴線に触れる」
といういいかたがありますが、

それぞれの人には
ポイントがあって
それに触ってほしいがゆえ
止めずに続けてしまう。

それが
「好きなこと」
ではないかと思います。

誰かに見て欲しい
琴線を誰でも持っているのです。

私もその芸人を見ていて
あまり芸能界に
向いていないと思います。

しかし、相方が売れているし、
なんとかなっているので
そのまま続けている感じに見えます。

逆説的に言えば、
仕事になってしまっているのです。

そんなことを考えていたら

「私は好きなことを
しているのだろうか?」

と自問していました。

確かに文章を書くのは好きですが、
誰にも認められていません。

(先の芸人と同じですなー)

気分が滅入ると
一行も書けなくなります。

それは「好き」に対して
することなのだろうか?

「好きなこと?」

と聞かれると
オープンクエッションなので
範囲が広すぎます。

本当に好きなこと、という
自分への問い詰め方をしても

曖昧過ぎて
本当なんてないのですから、
答えは出るはずもありません。

そんな時、
「くすぶる」という
言葉を思いつきました。

その時その時によって
温度差はあるにしても
最低限、保温状態になっていることが
好きなことではないのでしょうか。

種火が小さくくすぶっている状態です。

例えば、書くことで言えば
毎日まとまったことが書けなくても
2、3行書いてしまうとか、

でなければ、
誰かの文章を書き写しているとか。

瀬戸内さんのいう
「すきなこと」に対して

「種火が残っている」が
判断基準になる気がします。

「しぶとく」とつけて
「しぶとく種火が残っている」でも
いいです。

萩原健一さんは
原点回帰と表現していますが、
音楽に戻りました。

自分に苛立ちながら
ボロボロの歌を歌い
くすぶりにワラを
投げ込んでいるのです。

それはくすぶる種火が
しぶとく残っていたからです。

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