書き出しに何を書く?~ブログにも物語を

■名作の1ページ目を読む

文章の書き出し、
ためらいます。

最初には
何を書けばいいのでしょうか?

コピーライティングの
知見からすれば
「興味を引く」ことから
書くのが定石です。

落語で言えば、
「枕」に当たり、
読者の聞く態勢を作ってから
本題に入ります。

そうしなければ、
読者も爆弾情報台風の渦中、
バタバタしています。

せっかく書いたのに
読まれもせず、

メリーポピンズのように
傘をさしたまま
風にあおられ
どこかに飛んで行ってしまいます。

そこで、今回は
名作の1ページ目に
注目しましょう。

(研究中なので
ノウハウまでに
行きつくかはわかりません)

■ウケ狙い

私は文章の最初が
気になります。

というのも、

著者は
「読ませたい」
と思っています。

ですから、
本文とは別の意味で
考えているはずだからです。

別の意味とは、

「読み手に興味を持たせるには?」

と、本文以上に
読み手を意識して、
言い方を変えれば、
ウケを狙って書いています。

つまり、
冒頭に注目すると

著者の考える
「読み手は、
こういうことに
興味を持つんだろうなー」

がわかります。

ですが、
著者も人間です。

読み手に刺さって
うまくいく場合と
うまくいかない場合があります。

そこで、うまくいく場合、
うまくいかない場合の違いとして、

長い期間
読み継がれる小説が
ヒントになるのです。

長ければ長いほど
いつの時代も
読み手が読みたくなる
興味が冒頭に書かれているからです。

■言葉を選ぶ

興味を引く冒頭の
第一点目。

それは、
「言葉を選ぶ」
です。

「悲しみよこんにちは」
フランソワーズサガン(著)
を思い出して読み返しています。

(河野万里子さんに
翻訳者が変わり
文章が読みやすくなりました。

文章も美しいです)

冒頭には
このように書かれていました。

ーーーーーーーーーーー
ものうさと甘さが
胸から離れないこの見知らぬ感情に、
悲しみという重々しくも美しい
名前をつけるのを、
わたしはためらう。

その感情はあまりに完全、
あまりにエゴイスティックで、
恥じたくなるほどだが、

悲しみというのは、
わたしには敬うべきものに
思われるからだ。

悲しみーそれを、
わたしは身にしみて
感じたことがなかった。

ものうさ、後悔、
ごくたまに良心の呵責。

感じていたのはそんなものだけ。

でも今は、なにかが絹のように
なめらかに、まとわりつくように、
わたしを覆う。

そうしてわたしを、
人々から引き離す。

あの夏、わたしは十七歳で、
文句なく幸せだった。

「悲しみよこんにちは」
フランソワーズサガン(著)より
引用(改行変更しています)

ーーーーーーーーーーー

サガンは、
この小説の冒頭で、
セシル(主人公)が

個人的感情である
「悲しみ」を初体験する話です。

と紹介しています。

つまり、サガンは、
ものうさ、後悔、
良心の呵責とは違う、

「悲しみの初体験」
はウケる。

と見込んで、1ページ目に
読み手にぶつけているわけです。

だからか、
初めて会うので

「悲しみさん、
こんにちは」

と今になってみると
サガンは悲しみを人に見立てて
冗談をタイトル
(原題:Bonjour Tristesse)に
しているのではないかと思います。

そして、重要なのが
最初の一文目を
「わたしはためらう」
から始めていることです。

「ためらう」って
引き込まれる言葉です。

別の言い方で言えば、
「迷う」
ということですが、

「ためらう」のほうが
セクシャルなイメージを感じます。

セシルの不安定さを
象徴する、

読み手を
セシルに同化させる、

セシルに
自分を重ね合わせるように
強要し誘ってくる言葉です。

ですから、読み手は
これからのストーリー展開への
期待というより、

セシルの感じている
ユウウツな気持ちから入って
読み始めます。

ところが、舞台は
南仏の夏の海岸。

その暑さとユウウツのギャップで、
より18歳のセシルの
若い心情の不安定さが表現されます。

この小説をサガンが
書いたのが17歳なので、

おそらくストーリーは
フィクションだとしても、

心理面ではサガン自身を
投影しているのでしょう。

よく、文章は共感と言われます。

「そうだよねー。
あるある」

みたいな感じです。

しかし、
小説を読んでいると
共感より深い、

文章は同化、
文章は一体化、
だと思います。

自分を重ね合わせることができる。

「この人は自分だ」
と思うことが出来る。

つまり、小説の中に
自分を探し
自分を読んでいる状態だと
興味が増してくるのです。

占いのテレビを見ると
「あなたはこういう人です」
と言われて、

占ってもらっている人の
表情に変化が現れます。

「もっと、言い当てて欲しい」

と自ら欲しがっているように
なるのです。

小説においても
読んでいるうちに

「もっと、私のこと言って」状態を
作り出すことが出来れば
最後まで読まれます。

しかし、
それも最初に読み手と文章の
間にあるジッパーの最初を
挿し込むことば、

例えば、
「ためらう」のような、
読み手を引き込む言葉が
重要です。

いわゆる、
コピーライティング的な発想ですが、

「私のことを言っている」と
興味を引くための
「言葉の選択」が重要です。

たくさんの言葉を候補に挙げ、
中から読み手を言い当てる
興味を引く
ウケる言葉を選びましょう。

■想像させる

小説はメリットから
始まりません。

なぜなら、小説の最大の
読み手にとってメリットは
読み手自身を重ね合わせて
追体験したり、
考えたりすることだからです。

つまり、
興味を引く冒頭の第二点目は、
「想像させる」
です。

「いまだけ、
paypayで払うと
20%返ってくる」

とは、違うことを
読み手は期待しています。

読み手は想像の力で
「小説の中の世界の
現場に飛び込みたい」
と考えているのです。

そのため
「悲しみよこんにちは」の
セシルのユウウツな気持ちに
重ね合わせるように誘導する
気持ち優先の書き出し。

そして、もう一つは想像させて
小説の物語世界に引き込むため
現場を描く書き出しがあります。

例えば、こんな書き出しです。

ーーーーーーーーーーーーーー
「雪国」川端康成(著)より引用

国境の長いトンネルを抜けると
雪国であった。

夜の底が白くなった。

信号所に汽車が止まった。

向側の座席から娘が立って来て、
島村の前のガラス窓を落した。

雪の冷気が流れこんだ。

娘は窓いっぱいに乗り出して、
遠くへ呼ぶように、

「駅長さあん、駅長さあん」

ーーーーーーーーーーーーーー

トンネルの中は真っ暗。

そこから、トンネルを抜けると
夜なのでしょう。

青白い雪が浮かび上がり、
群青色のグラデーションで
遠くの風景は動かず、
近くは後ろへと吹き抜けていく。

トンネル内では
汽車自身のレールを乗り越える音が
壁に反響して
汽車は包み込まれていました。

なのに、
トンネルを抜けた途端、
真空世界に入ったように
音は遠くに鈍く追いやられます。

ここでは、島村の気持ちなんて
書かれていません。

トンネルを境に
違う世界に入ったことしか
書かれていません。

そこで、娘が
窓を軋ませながら、
平行に上がるように
あっちこっちを上にたたきながら
あげて、

「駅長さあん、駅長さあん」

と突然、音が入ってきます。

この文章を読めば、
読み手は島村と同じ汽車に
同乗しているように、

つまり、小説の世界に
入り込んだと感じるはずです。

ーーーーーーーーーーーーーー

「潮騒」三島由紀夫(著)より引用

歌島は人口千四百、
周囲一里に充たない小島である。

歌島に眺めのもっとも美しい場所が
二つある。

一つは島の頂きちかく、
北西にむかって建てられた
八代神社である。

ここからは、
島がその湾口(わんこう)に
位いしている伊勢海の周辺が
隈なく見える。

北には知多半島が迫り、
東から北へ渥美半島が延びている。

西には
宇治山田から津の四日市にいたる
海岸線が隠見している。

ーーーーーーーーーーーーーー

ドローンで島の上から
撮影しているようです。

歌島と具体名を出していますが、

ここでも
私たちが暮らしている世界ではなく
小説の別世界の離れ小島に
連れ込もうとしています。

読み手は想像の力で
「小説の中の世界の
現場に飛び込みたい」
と考えているので

現場感覚を感じることができれば
喜んで誘惑されるはずです。

■謎を呼ぶ書き出し

第3のパターンは
「気持ち」と「別世界」を
同時に表現する場合です。

この場合、
小説の世界に引き込まれるのと
同時に

読み手の「なぜ?」
も引き出されます。

ですから、完全には
小説に憑依していない状態で
読み手は読み続けることになります。

興味というより
好奇心に訴える
書き出しパターンです。

ーーーーーーーーーーーーーー

「人間失格」太宰治(著)
より引用。

 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、
「可愛い坊ちゃんですね」
 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空からお世辞に聞えないくらいの、謂いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、
「なんて、いやな子供だ」
 と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。

ーーーーーーーーーーーーーー

写真を引き合いに出して
そこに写っている裕福な暮らしを
想像させ、

「毛虫でも払いのける時のような
手つきで、
その写真をほうり投げるかも知れない。」

と、手に持った写真に
写った世界への
嫌悪感をあらわにする
「気持ち」と「別世界」を
同時に表現しています。

この書き出しで
読み手は同時に
主人公の気持ち、視覚情報の
二つの体験をすることになります。

ところが、

「こんな裕福なのに、
なぜ、毛虫を払いのけるような
気持ちになるのか?」

と読み手は「なぜ?」の気持ちを
引きずってしまいます。

ですから、完全には
小説の世界に
入り込むことが出来ません。

ーーーーーーーーーーーーーー

「ノルウェイの森」村上春樹(著)
より引用。

 僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルグ空港に着陸しようとしているところだった。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を着た整備工たちや、のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や、BMWの広告板やそんな何もかもをフランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。やれやれ、またドイツか、と僕は思った。
 飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめた。それはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの『ノルウェイの森』だった。そしてそのメロディーはいつものように僕を混乱させた。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。

ーーーーーーーーーーーーーー

人間、ふとしたことで
フラッシュバックします。

何十年も前の事なのに
その世界に入り

今起こっていることのように
ドキドキするなど
身体も反応します。

「僕」という主人公も
飛行機に乗っているとき、
ビートルズの
『ノルウェイの森』を引き金に
フラッシュバックします。

「そういうことあるよね」
という共通体験から、

「でも、
なぜ、『ノルウェイの森』を聴くと
そうなっちゃうわけ?」

と読み手に興味を持たせて
引き込んでいるのです。

しかし、
注意しなくてはならないのは、

読み手は「なぜ?」
と疑問を持ったのですから
読み手はストーリーに
「答え」を求めてしまいます。

「気持ち」と「別世界」を
想像させるのは、

本来の小説の
話に自分を重ね合わせるよりは
距離が出来てしまうので、
その分、入り込み度は弱くなります。

答えを求める
好奇心が勝るのです。

■ブログの読み手は暇つぶし

ブログの読み手は
ランディングページを読む
読み手とは違います。

ブログの読み手は
知識の吸収も目的でしょうが、
興味、好奇心のように
暇つぶし的な面が大きいです。

といっても、
ブログ記事は
完全な小説ではないので、
あくまでも小説の要素を
取り入れるということなのですが、

論理ではなく
小説のようなストーリー性が
ブログにも求められます。

単純な情報記事ばかりでは
そのうち他のブログと
同じになってしまい、

特別なブログに
認識されなくなるでしょう。

小説というと
文章の長さや
文章力の高さを
想像するかもしれません。

もちろん、
文章はうまいに越したことは
ありませんが、
平均点が取れるぐらいで十分です。

その代わり
小説から取り入れる必要があるのは、
内容の展開です。

想像させる文章は
読み手の記憶に残ります。

文章にストーリー性を持たせるための
簡単な方法は
書き出しを変えることです。

書き出しを変えれば
その後も合わせて
変わっていきます。

書き出しの元ネタとして
これまでの名作とされている
作品の1ページ目を注意して
読んでみましょう。

注意して読めば、
著者が読み手を引き込もうと
仕掛けているのがわかります。

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