「たしかに、しかし」からの脱却をする意味1~読んでいる人を受け入れる文章にするには?(2)

読者の気持ちを受け入れるのは
むずかしいですね。
 
 
いろいろな人たちが思い浮かび
困ってしまうかもしれません。
 
 
でも、それを悩みとすること自体が
あなたの前進の証であり、
大きく踏み出すためのチャンスです。

 
 
なぜなら、読者の気持ちを受け入れることに
気づいたあなたは、
感情の交流にステージが上がったことに
ほかならないからです。
 
 
文章の入門書を読んでいると
まず重要とされるのが
書き手の意見です。
 
 
それをどうすれば
わかりやすく、読みやすく表現できるかを
ポイントに説明されます。
 
 
もちろんまず第一に重要なことです。
 
 
意見がない、
あるいは、意見がわからないのでは
土台がないことになるからです。
 
 
ところが、書籍になっている文章を
読むとそれだけではありません。
 
 
第二に重要なことが加えられています。
 
 
それは、読者との会話です。
 
 
書籍は印刷物なので
直接会話することはできません。
 
 
しかし、感情の会話はできるのです。
 
 
どういうことかというと、
 
 
自分の意見を言うと
相手はどのように感じるか?
予測できることがあります。
 
 
感情とは、複雑にとらえられていますが
普遍的なところが大半です。
 
 
例えば、色恋沙汰なんて
当事者たちはとても微妙なバランスの上で
やりとりしていると思っています。
 
 
ところが、文章にすると、
「よくある話」。
 
 
片想い。
両想い(だけど障害がある)。
二股(もっとの場合もあります?)。
 
 
極端に言えば、
この3つのどれかの話です。
 
 
すると、その限定された状況に感じる感情も
共通してきます。
 
 
したがって、細かい事情は違うとしても
感情面での話は
自分の体験したことに重ねて
想像することができます。
 
 
だから、何世紀も前の恋愛小説を読んで
「その気持ちわかる、わかる」になるわけです。
 
 
つまり、
感情については共通する面が多いので、
時代が変わろうと、国が変わろうと
メディアを通してやりとりができるのです。
 
 
つづきは次回!
 
 
 
 
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