好きが所有の欲望に変わるとき(4)~loveとlike(8)


 
 
これまでloveとlikeの違いをお話してきました。
 
 
likeは「所有の欲望を感じない」好きであり、
loveは「所有の欲望を感じる」好きです。
 
 
その所有とは「反応の所有」です。

 
 
そして、「反応の所有」の欲望から
依存にも中毒にもなってしまいます。
 
 
しかし、それにしても
「所有」って変な感覚だと思いませんか?
 
 
なぜなら、「所有」とは幻想だからです。
 
 
人に対しても、物に対しても
「所有」なんて出来ません。
 
 
現実を見れば、
「所有ということにしておこう」なのです。
 
 
その証拠に所有を表すのは
「契約書」や「権利書」でしかありません。
 
 
例えば、あなたが奴隷を買ったとします。
 
 
そうであれば、毎日あなたの好きに使えますね。
 
 
真っ赤になった焼きゴテで
あなたの名前の焼印を付けたりすることもできます。
 
 
あなたの好きな女奴隷なら
もっと楽しいことも出来るかもしれません。
 
 
例えば、背中をそらして
足を広げさせて、四つんばいにして、
 
 
後ろから、
「ここはどうかな?」
あなたは彼女の耳元でささやきながら
 
 
中指の内側で
下から上にスッと滑らして触れるとかできますよね。
 
 
しかし、そのように名目上は奴隷ですが、
どこまでいっても所有することなんて出来ません。
 
 
ただ、縛りつけているだけです。
 
 
それはあなたのものではありません。
 
 
物についても、そうです。
 
 
そこに置いてあるだけです。
 
 
名義上あなたのものですが、
ドロボウに持っていかれたら
そこからはなくなります。
 
 
つまり、所有とは幻想への欲望なのです。
 
 
このように自分の名義にするだけの所有に
欲望がわきあがっていきます。
 
 
では、その所有の目的とは何か?
 
 
それは「反応」です。
 
 
先ほどの「所有の幻想」の言い方でいえば、
「反応の幻想」ですね。
 
 
反応は所有よりもっと刹那的ではかないものです。
 
 
その話で思い出しました。
 
 
最近のドラマ(Dr.倫太郎)で蒼井優さんを見ました。
 
 
二重人格で感情の幅のある役柄です。
 
 
ドラマ自体は面白くないのでどうでもいいのですが、
蒼井優さんの表情を
ずっと見ていたい欲望に駆られます。
 
 
イタズラ気に微笑みかけられたら
ずっとその状態でいたいと思います。
 
 
桜吹雪の中でのキスシーンがあるのですが、
自分がしている気になって
そのシーンに入り込んでしまいました。
 
 
しかし、それはテレビの中のドラマの話しです。
 
 
現実には会うことはないでしょうし、
本当の本人はどんな人かもわかりません。
 
 
そんな演技であったとしても、
彼女の「イタズラ気な微笑み」の反応の体験を
またしたいと思ってしまいます。
 
 
そういう自分を考えると
もしかすると、彼女を所有したいのではなく
彼女の「反応」を所有したい欲望なのかもしれないと
思うのです。
 
 
文章に置き換えると
読者が読むと、微笑み返えす文章です。
 
 
「微笑み返えす文章なんて、あるか!」
 
 
まあ、そういうでしょうね。
 
 
だからこそ「反応の幻想」なのです。
 
 
文章を読むと、
文章の中から著者が反応を返しています。
 
 
あなたの状態によって返す反応が違いますよね。
 
 
あなたが悲しいとき、うれしいとき
同じ文章でしょうか?
 
 
あなたの働きかけに応じて
文章は反応して変わると感じませんか?
 
 
しかし、それは所有することはできませんし、
あなたしか感じることができません。
 
 
他の人から見たら「幻想」としかいえないでしょう。
 
 
同じ小説を読んでいるのに
ある人は号泣して、繰り返し読み
ある人はすぐブックオフに売りに行ってしまう。
 
 
この違いは、文章からの反応が違うからです。
 
 
好きが所有の欲望に変わるとき、
それは反応は所有できないとわかるときです。
 
 
しかし、それでも求めずにはいられない
どうしても欲してしまう欲望です。
 
 
それがloveとlikeの違いなのです。
 
 
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