読者との生理的関係~あなたらしい文章と読者の関係

あなたは読者と生理的関係を
築く勇気がありますか?
 
 
あなたが著者として
記された文章。
 
 
そこでは、何が求められるのでしょう。
 
 
それは、読者から見て
区別できるかどうか?です。
 
 
では、区別するポイントとして
何を見ているのか?
 
 
それは、あなたがリスクを
取っているかです。
 
 
「文章でリスクって?」
 
 
それは、
体感や感情を表すことです。
 
 
書き手の意見と思いがちですが
それは違います。

 
 
論理は
好きな人の意見であろうと
嫌いな人の意見であろうと
読むことができます。
 
 
その論理への興味のあるなしで
判断するからです。
 
 
しかし、
体感、感情を受け入れるには
好き嫌いが関係します。
 
 
例えば、
 
 
好きな女の人が
夏の暑い日に汗をかいている。
 
 
そして、
バッグからハンカチを出して、
額に吹き出る汗を拭いている。
 
 
これは、受け入れられるでしょう?
 
 
汗かいて拭っているのが
かわいいぐらい感じます。
 
 
では、嫌いな女の人が
夏の暑い日に汗をかいている。
 
 
そして、
バッグからハンカチを出して、
額に吹き出る汗を拭いている。
 
 
こちらは、どうですか?
 
 
いうまでもありません。
 
 
わかりませんか?
 
 
では、もう少しわかりやすくしましょう。
 
 
好きな女の人が
ダラダラヨダレを垂らしている。
 
 
嫌いな女の人が
ダラダラヨダレを垂らしている。
 
 
これならわかるでしょう?
 
 
わかりませんか?
 
 
では、もう少しわかりやすく、、、
 
 
やっちゃいそうなので
ここらで止めておきましょう。
 
 
同じことをしているのに
生理的に好き嫌いだけで
分けるなんて
理不尽といえば理不尽です。
 
 
同じように文章の上でも
体感や感情を表すことで、
生理的な判断をされるようになります。
 
 
つまり、嫌いな人の文章を
「毛嫌い」するわけです。
 
 
文章というと、
「ただの文字の羅列ではないか?」と
思われがちです。
 
 
しかし、実際には、
文章からイメージをつくり
それを「見て」います。
 
 
というものの
見た目9割の見た目がありません。
 
 
だからなおさら、
見た目を通り越して
体感や感情に
生理レベルで感じてしまうのです。
 
 
あなたの読者との特別な関係とは、
生理的関係を築くことです。
 
 
あなたの意見の論理ではありません。
 
 
なぜなら、
あなたや私の意見の論理程度は
ネット上いくらでもあります。
 
 
ですから、代わりはたくさんいるし、
文章のうまい人もたくさんいるでしょう。
 
 
あなたが著者として記された文章。
 
 
そこで求められることは、
あなたの体感や感情です。
 
 
それを発信すれば、
毛嫌いされるリスクがあります。
 
 
しかし、そのリスクを取って、
体感や感情という、
生理的レベルの交流をしようとすれば、
 
 
好きな人は好きになってくれますし、
嫌いな人は去っていきます。
 
 
あなたは
毛嫌いされるリスクを負ってまで
読者と生理的関係を
築く勇気がありますか?

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