接続詞が足りなくないですか?

「書いた文章がわかりにくい」

一生懸命書いたのに
「わかりにくい」といわれるほど
悲しいことはありません。

ですが、たった一つのことを
見直すと「わかりやすい」に
変えることができます。

その代表的なひとつとは、
●接続詞が足りない
です。

書いている人と
読んでいる人の違いとは、
内容を知っているか
知らないかの違いです。

読み手は、全部読んで
「前に聞いたことがある」と
思うことはあるでしょう。

しかし、初めて読むとき
読み手は内容を知りません。

読みながら
その都度、理解して
読み進めていきます。

それに対して、書き手は
結論を知っています。

それで
何としてでも読ませるように
仕掛けをします。

ここで引き込んでやろう、
ここで笑わしてやろう、
ここで意外な展開でおどろかしてとか、

そして、
「この結論につなげてやろう」
と試行錯誤して
構成を練ります。

その結果、結論を
「いいよ」「面白い」と
言わせたいのです。

あなたの一生懸命も結論ではなく
「何としてでも読ませる」
に尽きるのではありませんか?

「結論を言いたいから
その仕掛けや構成も
書いているのでは?」

実は、
結論に意味なんてありません。

というのは
結論は極めて単純だからです。

結論とは
「●●はいい」
「●●は悪い」、
のどちらか二つだけ。

どの本でもいいですが、
最後の1ページを見れば
どちらかが書かれています。

その単純な
「いい」、「悪い」を
ゴールとして書いていくのが文章なのです。

ゴールなくして
意見のある文章とはいえません。

ですが、だからといって、
結論だけではなく
それに至るストーリーがなければ
ゴールだけです。

結論だけポンと置かれても
読者には感動もないだろうし
「そうかもね」で説得力もなく
終わってしまうでしょう。

ゴールだけのストーリーなんて
テレビを見ている時に
画面の上を流れる
ニュース速報と同じです。

一瞬見てスルッと
どこかに抜けていきます。

文章を読みたい気持ちになるのは
結論に至るプロセスに興味があり
プロセスこそが感動だからです。

でなければ、面倒な厚い本を
お金を出してまで読もうとは
思いません。

ですから、
何かしらのゴールの旗は必要ですが、
重要なのはそこに至る
文章の構成であり、
つながりなのです。

文章を読むとは
つながりを読むことなのだとすれば、
重要なのは接続詞になります。

あなたの文章に接続詞は
足りていますか?

この前、
自分の書いた古い文章を読んだのですが、

とてもわかりにくく
どうしてなのかと
ずっと考えていました。

よくよく見ると
その時はわかって書いているので
接続詞を必要と考えていませんでした。

しかし、
書いたことを忘れて読むと
文章のひとかたまりが大きすぎて
つながりが追えなくなってしまったのです。

読む人にとって
理解の塊を小さくすること。

そして、
これから何を話そうとしているのか
読み手に予告編として
接続詞を見せることが

つながりを理解させるために
重要だったのです。

他人が理解して読むには
必要十分な接続詞が必要です。

その時に意識すべき関係を表す
接続詞は3つです。

●順接
●逆説
●並列

●順接
前文の内容を引き継いで、
後文を述べる場合の接続詞。

「それで」
「だから」など。

●逆説

前文の内容と違うことを
後文を述べる場合の接続詞。

「しかし」
「ところが」など。

●並列

前文と同じカテゴリーで
後文は列挙の接続詞。

「そして」
「それから」など。

もし使い方がしっくりこない場合
くどいぐらいに入れてみて、

そこから、
どうしても必要と思われる
場所だけ残して、
あとは消しましょう。

接続詞は関係を表します。

わからない文章は
接続詞が足りない文章です。

つながらなくては
つじつまが合わなくなります。

つじつまが合わなくては
ボロがでます。

ボロが出れば
そこから読者はこぼれ落ち
逃げてしまいます。

接続詞は文章だけではなく、
読者をつなぎとめる接着剤なのです。

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