腑に落ちる何をどう書くかの書き方

「どう書くか?」関連記事への
アクセスが増えています。

夏休みなので
読書感想文の宿題なのでしょうか?

でなければ、
ボーナスの額を見て
アフィリエイトに
突如、目覚めたのか?

いずれにせよ結論を言えば、
「どう書くか?」は
読者の「じゃあ、どうすればいい?」に
答えているかがポイントです。

「どう書くか?」と悩む場合、
「何をどう書くか?」ばかりを
考えてしまいます。

つまり、
理屈から発想を始めてしまうのです。

「●●だから、
●●と比べて、
●●がいい」

こういう理屈ごねを
いくつもかませば
読み手が圧倒される。

と思っていませんか?

確かに
●判断(判定)基準
●競合するものとの比較
●結論

それに
●たとえ話
ぐらいが揃っていれば、

「何をどう書けばいいのか?」問題は
解決します。

以上の4点を盛り込めば
文章は長くなり
体裁ももっともらしくなるはずです。

読んだ人も
「なるへそー」
となるでしょう。

しかし、それだけでは
足りないのです。

何が足りないのか?

それは、読み手の行動。

今までの
「●●だから、
●●と比べて、
●●がいい」
だけでは、読み手が不在です。

それだけでは
腑(ふ)に落ちません。

腑とは、辞書を調べると
「はらわた」のこと。

時代劇では
五臓六腑に染み渡るなんて
セリフがよくありました。

ここでいう
腑(ふ)に落ちないの
腑とは、

内臓そのものを
指すのではありません。

体感という意味です。

理屈である脳のところまでで
「そういうことかー」が
止まってしまい、

「自分ならどうする?」と
読み手が関わるところまで行きません。

情報だけで終わっているのです。

例えば、ここまでで
この文章が終わっているとしましょう。

すると、読み手の感想は

「おー、そうかー、

理屈だけでなく、
読み手が実感できる
具体的なことが
文章には必要なんだなー」

で終わるでしょう。

わかったようなわからないような
モヤモヤするけれど
「まあ、そうなんだろうなー」
ぐらいのものです。

何をどう書くのか?
を考えると文章中の論点についてと
思います。

特に書き手はそう思います。

しかし、読み手の立場になってみると
読むポイントが違います。

腑に落ちることが
ポイントになるのです。

だから、何をどう書くかとは、
理屈がわかるように
何をどう書くかではなく、

腑に落ちるように
何をどう書くかが重要なのです。

夏休みの宿題で
読書感想文があったとしましょう。

小学生であれば
「面白かったー」でいいのですが、
私たちの年齢になると
そんなの感想のうちに入りません。

まず、考えるのは
登場人物の誰かと
自分を重ね合わせて
違いを比較します。

それで、

私ならこう感じるだろう。
私ならこうするだろう。

今まで、こう考えていたけれど
別の見方を知ることができたでも
いいでしょう。

自分でなくても
類似する人や話を比較して
違いをあげ、

こっちのほうが
どういう理由でいいということも
いいです。

例えば、
ジョンレノンと
ポールマッカートニーの違い。

スティーブジョブズと
ビルゲイツの違い。

なぜ、それらを比較するのか?
比較できるのか?の説明は
必要になりますが、

比較する。
その違いをハッキリさせる。

それで、あなたの意見を述べる。

それだけでも
読書感想文としては成立します。

しかし、読み手からすると
あなたの中のことでしかなく、
読み手自身に関係あるとは
思えません。

そこで文章のポイントである
「では、どうすればいいのか?」
の登場です。

あなたは子供のころ
発明王エジソンの生涯みたいな本を
読んだことがありますか?

この読書感想文を書けと言われれば
「努力が重要」

よくて、
「私も見習わなくては」のような
感じでしょう。

では、提出された先生は
それをどう読むでしょうか?

「ふーん、次!」

小学校の先生といえば
雑用ばかりで
たくさん生徒もいます。

ですから、
冷たいようですが
当然そうなります。

先生の感想はというと
「ふーん」なのです。

なぜなら、
それを読んだからといって
先生自身に全く影響が
ないからです。

しかし、
「天才には努力が重要」から
「だから?」を使って

「では、天才に近づくには
どうすればいいの?」
に踏み込めば、

書き手だけでなく
読み手も巻き込む
ステージに引き上げることができます。

例え、それが中年小学生教師と
小学生ほどの年齢差があっても
人間成長がテーマになれば
どちらも同じです。

「天才には努力が重要」

だから?

「私たちとの違いは
成功、失敗の見方」

だから?

「努力ではなく
楽しみでしていたこと」

だから?

「楽しみにする」

だから?

「エジソンはこう言っていた。

私は失敗したことがない。
ただ、1万通りのうまく行かない方法を
見つけただけだ」

だから?

「成功失敗の縛りから
探すことを楽しむに意識を変える」

だから?

「探すのに
試す組み合わせが必要」

だから?

「試す組み合わせを
エクセルの行列に書いて
実行していく」

だから?

「スマートフォンに
表計算ソフトを入れて
書いていく」

「試す項目は考えるだけでなく
インターネットで調べる」

だから?を繰り返せば
より具体的な行動に
向かっていきます。

「努力が重要」
「私も見習わなくては」のような
読書感想文でも悪くはないです。

悪くはないのですが、
読み手は「ふーん」と
流してしまいます。

それは、読み手に関係ないからです。

しかし、スマートフォンに
無料の表計算ソフトを入れる。

組み合わせ項目を
自分でも考え、
インターネットでも調べる。

行列に組み合わせの項目を
書き込む。

その組み合わせを順番に試す。

試しているうちに
別の組み合わせを思いついたら、
新しく表を作って
また試してみる。

すると、エジソンレベルの
新発見できる。

総論で
エジソンの生涯を読んで
組み合わせを試すのを
楽しめるのが
天才だとわかりました。

と書かれていれば、
「ふーん」ではなく
「うーん」になります。

それがエジソンのしていることが
イメージできた。

腑に落ちたということです。

もちろん読んだからといって
やるかは別問題なのです。

ですが、

読み手に
エジソンが1万回というのは
組み合わせを
楽しんでいたと伝わります。

では、どうすればいいのか?の
体感を読み手に伝えることで、

エジソンと読み手に接点が生まれ、
書き手とエジソンの接点も
読み手に理解され、
書き手の感想が
読み手に体感として伝わります。

何をどう書くか?は
「では、どうすればいいのか?」まで
考えて書くことが重要なのです。

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