魅力ある文章にする方法

わかりやすいばかりだと
文章に面白味がない。

あえていうなら、
面白味のためなら
わかりやすさを犠牲にしても
かまいません。

ウケを狙って
わざと言っているのではなく
本当にそう思っています。

この前、あまりに
机の上に本が積み上がってしまい
どうしようもなくなりました。

そのため、20冊ほど
ブックオフに処分しに行くと、
たったの200円。

ならすと
1冊あたり10円。

ひどいものです。

それこそブックオフでも
アマゾンでも
実書店でも

「面白そう」
「この知識があれば」
と思えば、

できるだけ購入しています。

あれもこれもと
買っているうちに
本を買いすぎました。

なぜこんなことになったのか
と言えば、

読むよりも
買う方が簡単だからです。

買うって簡単です。

買うのは
お金とモノとの交換であるだけ。

お金を払えば、
「私のモノ」として
本を机の上に置くことが出来ます。

しかし、
売買に出来るのはそこまでです。

その一方、
読むって大変だと思いませんか?

まず、読んで、理解。

200ページあるなら
200ページ読み、

300ページあるなら
300ページ
読まなくてはなりません。

読みすすめるうちに
前のことを忘れてしまっては
途中でわからなくなりますので、

読み終わった分を
覚えていることも必要です。

それに
もしアウトプットするなら
理解に加えて
自分の意見をまとめなければ
なりません。

つまり、読書というインプットに加え
アウトプットするために
情報処理をする必要があるのです。

だから、
アウトプットまで含んだ
読書は大変です。

買う量に対して
読む量が追いつきません。

そのままにしているうち
役に立つであろう本の谷間に
埋もれて暮らす住人になります。

もし本を読むたび
テストがあって、
それをクリアしなければ
次の本が買えないとしたら?

買う量は
10分の1ぐらいに
なるでしょう。

それは、たくさん読んだからといって
書かれている知識の全部を
自分にインストールできる
わけでもありません。

本を読む本質は
知識が欲しいからではないのです。

ところであなたは
ご自身の読書傾向を
考えたことがありますか?

例えば、私で言えば

3年ほど前は
ビジネス書9割、
それ以外が1割でした。

そのころは主に文章の書き方、
コピーライティング、
心理学に関する本を
読んでいました。

それがこの前、
本棚整理に当たって
仕分けしていると、

エッセイが9割、
それ以外が1割に
変わっていました。

なぜそうなったかの
原因はわかっています。

何回か紹介しているので
「またかよ」と
思われるかもしれませんが

向田邦子さん「父の詫び状」という
エッセイとの出会いで

「エッセイ、いける」
と内なる革命が起こったからです。

それは、
どういう革命であったかというと
文章の中の面白味とは人間味である
と気づいたのです。

確かにビジネス書に書かれている
ノウハウもそれなりには
役に立ちます。

しかし、今にして思えば、
最初の2、3冊だけを
繰り返して読めば
それでことたりました。

なのに、同じような本に
別のことが書かれているのでは
と探し求めていました。

最近思うのが
その探し求めていたものとは
文章の面白味です。

料理のスパイスみたいに
それをかければ
面白い文章が書けると
思っていたのでしょう。

というものの、
面白味って、ぼんやりしていて
はっきり特定出来なかったのですが、
エッセイばかりを読むようになって
少しつかめてきました。

先ほども言ったように
面白味とは人間味のことでした。

では、人間味とは何か?

それは記憶との戦いです。

人間最大の特徴は
記憶能力です。

ですが、皮肉なことに
どうしようもない記憶を
悩んでしまうのが人間です。

苦悩(悩み)、
後悔、
逡巡(ためらい)、
回想(思い出す)、

すべて記憶があるからこそ
起こります。

それが人間の弱みであり
弱点は特徴と言うことも出来ますが
総じて人間味といえるのです。

昨日のことを
すっかり忘れて
毎日会社に行けるなら
「オッハヨー」と脳天気に
大きな声で部屋に入っていけます。

しかし、記憶がない限り
そんな毎日は繰り返しの単純作業です。

昨日と今日が違う日だとわかるのは
記憶があるからです。

ところが、違いがわかるがゆえ
苦しんでしまう。

そんなジレンマを持つのが
人間そのものなのです。

エッセイでは
まず著者は何かを思い出します。

そして、その思い出について
現在の著者が過去と向き合う話が
ほとんどです。

懐かしむ場合もあり、
怒りがぶり返す場合もあり、
現在の著者の評価によって
その後の展開は変わりますが

過去と対峙して
その記憶を
どのように置き直すのかが
テーマになっています。

賞を取ったような作品は
まずそのパターンです。

そうでなければ、
作品に深みも面白味もありません。

だとするならば、
魅力ある文章の定義は
記憶に対しての弱さの記述がある
ということです。

それは、全体でもいいですし、
途中に挿入するエピソードでも
いいのですが、

どこかに記憶に対峙する場面を
入れることが
面白味のある文章なのです。

最初の話に戻りましょう。

記憶に対する苦悩は
誰にでもあります。

ですから、共感という表現を
する場合が多いです。

ところが、苦悩というのは
変な重力空間にあり
ねじ曲がって
ひん曲がっています。

他人にはわかってもらえない部分も
必ずあります。

そのため、わかりやすい文章、
あるいは正しい日本語で
表現できないものなのです。

では、どうすればいいのか

それは、文章が汚くなっても
日本語として間違っていても
ひん曲がったまま書くべきです。

「それでは読者は
理解出来ないではないか」

文章として理解出来なくても
気持ちが伝わります。

それは
誰もが記憶の苦味を
イヤと言うほど
味わっているからです。





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