文学的素養はコピーに必要か?

このブログを読んでいるあなたは
勉強家ですから
おそらく私の何倍も本を読み
文章を書いていることでしょう。

そして、アフィリエイトで
稼ごうとノウハウを探し回って
このブログも読んでいると思います。

そんなあなたの欠点を
当ててみましょう。

それは、
文学的素養もなく
きれいな文章が書けないこと。

なぜなら、
そんなこと必要ない
と考えているからです。

最近、変なことを
パッと瞬間的に
思い出します。

はるか昔のことが
突然吹き出すのです。

私は中学生の時、
友達と詩のクラブを
つくっていました。

月に一回、作品を持ち寄り
構成を話し合って、
わら半紙にガリ版で刷って
ホッチキスで閉じて
クラスの後ろの棚に置いておきます。

そして、
読みたい人が自由に取って読む。

今で言う
フリーペーパー同人誌を出して
遊んでいました。

学校に認められたクラブではなく
本当に好き勝手です。

なのに、今にして思えば、
なぜ注意されなかったのか
不思議です。

ガリ版の原稿から
わら半紙から
印刷機から
ホッチキスまで
すべて学校のモノを使っていました。

作業場所も放課後、
職員室で印刷していましたし、
学校を使っていたのです。

教室でゴソゴソ3人で
内職のように
印刷したバラバラの
わら半紙をまとめて
小冊子を作っていました。

場所はともかく
備品使用の申請を
どこにも出しませんでした。

今だったら、
経費にうるさいので
許可されなかったかもしれません。

中学校が荒れる時代の前だった
せいもあったのか
のんびりしていましたし、

一応、生徒自らの自主的な
文化活動なので、
「好きにやらせておけ」と
黙認されていたのでしょう。

(気がつかなかったのであれば
それはそれで問題です)

クラスの人からも特に批判もなく
そのフリーペーパーを
暇つぶしに読んでいたみたいです。

今だったらよってかかって
バカにされたり
いじめの対象になるのかもしれませんが
休み時間に詩の本を読んでいても
特別視されることもありません。

クラスの人気者はやはり
スポーツが出来る人でしたが
詩を作ったり、読んだりする人がいてもいい
寛容な時代だったのです。

そんなころ、
肝心の詩を書くために
詩をよく読んでいました。

中原中也や
萩原朔太郎、立原道造、
(昭和ですなー)

ビートルズの歌詞を翻訳した詩集
などです。

とはいうものの
できあがったのは
レベルの低い
全く違うモノでしたが、

とにかく
それが私の最初の文学体験です。

そこから、
文章に興味を持ち
詩の時のように
現在、文章を書く方向に向かっています。

詩の同人誌を作っていた頃の経験が、
現在どれだけ
役に立っているかは不明です。

ですが、
どこがどうとはいえないのですが、
自然に詩的に書こうとしているのは
確かです。

やはり最初の文学体験を
引きずっていて
今に至っているので
影響はあるのでしょう。

さて、コピーライティングや
ブログの作り方を読むと、
こんなことが
よく書かれていないでしょうか?

「文学作品ではないので
才能も必要なければ
きれいに書く必要もない」

これを読んでどう思います?

私は文学作品も
コピーもブログ記事も同じで
才能も必要であるし
きれいに書く必要もある
と考えています。

なぜなら、
文学作品というのは
感情を動かすものでしょう?

簡単に言えば、
「感動」を生み出すものです。

文学は人間の奥底にあるものに
触れたり暴き出したりすることで
共鳴して感情が動きます。

ですから、文学であろうと
ブログ記事であろうと
人間の底にある暗さを
描き出す必要があるのです。

では、
なぜこんなことが
書かれているのか?

入門書に
「文学的素養が必要です」
と書いてしまうと

読者が「じゃあ、オレダメだ」と
離れてしまいます。

客に逃げられては困ります。

だから
「誰でもできますよ」と
引き留めたいわけです。

実は、
私も「誰でもできますよ」に
引き留められたくちなのですが

いろいろ文章を書く経験を積んで
他のブログ記事を読んでいると
きれいな文章、文学的素養が
必要であるとつくづく思います。

「じゃあ、オレダメだ」
と思いました?

じゃあ、あなたはダメです。

もちろん、冗談です。

この前、そんなことを考えたので
気になる人のブログを
読み返してみました。

私はずっと
文章がうまい人だと思って
読んでいたのですが、

そうではなく
文学的素養のある
きれいな文章でした。

その時思ったのが
「じゃあ、オレダメだ」
です。

あまりこちらのレベルが低すぎるのです。

変な話ですが、
どうやれば上回るかはわからないものですが、
質が悪いのはすぐわかります。

ですが、
「だったら、やめよう」の方向には
向かっていません。

文学的素養も
きれいな文章も
いろいろありますから

自分の出来る方向は
何かないかと探しています。

それに
文学的素養がないなら
今から読めばいいわけです。

我ながら
「だったら、やめよう」
と思わないのが意外でした。

それだけ、
「じゃあ、オレダメだ」と思っても
食い下がるのは
執着していて
こだわりがあるのです。

生き残る方法を探しているというのは、
別の素養かもしれません。

もしあなたが入門書に書かれていることを
真に受けて、

文学的素養はなくていい、
きれいな文章も必要ない

と考えているのであれば、
考えを変えてください。

他のアフィリエイターは
そんなこと必要ないと
考えている人ばかりです。

その人たちが気づく前に
変えて欲しいところですが、
疑うのであれば
自分でも調べて欲しいと思います。

きっとすぐわかると思います。

面白い文章と
面白くない文章の違いがです。

文学的素養も必要ですし、
きれいな文章を書くことも重要です。

それらの要素がなければ
つまらなくて
読んでいられません。

読んでいられない文章では
感動もさせられないのは
もちろんのこと、

おすすめ商品が売れるはずも
ないでしょう。

すくなくとも
きれいな文章を書こうと思えば

現在より
あなたの文章の魅力を
向上させることができます。

文学的素養は必要であり、
きれいな文章を書くことを
意識しましょう。





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